スガワラ’s blog

日々思うことを書き連ねます。

歳を経て変わる印象

カラヤンの音楽を、毛嫌いしていた時期がある。

 

色々理由があるだろうが、一番の理由は、若者特有の「みんな(特に年長者)が良いとしているものへの反発」だったのではないかと、それから25年経って今思う。

なぜなら、今聴いてみてはっとする。だってとっても良い音楽だから。

軸がしっかりとして轟々となるオーケストラ、フレージング豊かではっきりとわかりやすい音楽、それでいて飽きない魅力。

当時カラヤンの対抗馬(とよく言われていた)のバーンスタインを良く聴いていたが、今はあまり心に響かない。逆に音楽の荒さが目立って聴こえてしまう。

40代を迎えた自分の感覚は、50代、60代になるとまた変わってくるだろう。その時にはやはりバーンスタインがいい、いやまだカラヤンだ。はたまたどちらも面白くない、という感想を抱くかもしれない。でもそれで良い。

一番最初にあげたカラヤンの例は、単に音楽と真正面に捉えていない例で、少し違う例だが、人間の感覚は歳を経るにつれて代わり、捉え方も変わる。その時々で自分にとって合う音楽、合わない音楽があるはずだ。

高校生、大学生の時には対して面白く聞こえなかったシューマンシューベルトメンデルスゾーンの作品の色彩の綾が今はとても面白く感じるし、今でもまだワーグナーブルックナーの音楽は、素晴らしいと思う反面深い感覚ではシンクロできていない。

仕事をし始めた時に出会ったヤルヴィ&ドイツカンマーフィルの印象は鮮烈だったし、アーノンクールノリントンらによるHIP(Historically Informed Performance)が一時代を席巻したが、今やそれらの演奏を取り入れるのは当たり前。ヴィブラートをかける、かけないとよく議論があったが、それは音楽的にどうするか、どうしたいかという表現の手段でしかない。その点今の演奏家はうまく演奏に結びつけているのではないか、と思う。

 

未来の自分はこんな過去の自分の感想をどう思うだろうか。大して変わってないよ、なのか。それとももうそんな音楽聴かないよ、だったりして。

 

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そんな毛嫌いしていた自分でも、なぜかブラームスのドイツレクイエムはカラヤンだった。「ドイツの指揮者、オーケストラで聴かないと」と思っていたのだろうか。そういえばブラームス交響曲全集も良くカラヤンを聴いていたっけ。