天才性と人間性の絶妙なバランス
モーツァルトの音楽はなぜこんなにも色褪せないのか・・・
音楽を聴くことについて、その時々の自分の好み、トレンドがあることに気づく。ブラームスは学生自体文字通り貪るようにCDを漁って聴いたが、一方で武満の音楽は肌に合わなかった。20年たった今、ブラームスの交響曲は食傷気味に感じるいっぽうで、室内楽作品は面白く、武満はユニークな音の感触、陰影に見せられている。もちろん、新しい演奏、解釈により作品の新たな顔を見せ、それに魅せられることもあるだろう(実際ベートーヴェンは、ピリオド・アプローチの普遍化に伴い30年前と今では違う作品ではないかというぐらい演奏が違う)
しかし、自分の中でモーツァルトは違った。
ピリオド・アプローチであろうがなかろうが、イッセルシュタットであろうがノリントンであろうがどんな演奏であろうが、モーツァルトはモーツァルトで、常に魅力的だった。
なぜ、モーツァルトの音楽はいつも楽しいのか。そして、なぜいつも新鮮な印象を持って語りかけてくるのか。
その答えを見つけるために、さまざまな本を読んで自問自答している。
今日はこれ「モーツァルト よみがえる天才3」(岡田暁生著 ちくまプリマー文庫)
この本は「天才ではあるが、自分達と同じ人間であるモーツァルト」を描き出そうという試みをしている。父との確執、恋愛感、死生感、「美」への冷めた目をもつモーツァルトの見方について語られ、モーツァルトがどのような人物であったかが論じられる。
一番興味を持ったのは、モーツァルトの音楽の変わり身の早さへの言及について。モーツァルトの音楽は悲しい曲調が急に明るくなったり、そして暗くなったり・・・心の襞ををくすぐるように移り変わる特徴がある(ハイドンやベートーヴェンはこうはいかない)。この点をモーツァルトの手紙の中身から類推する件はとても興味深かった。
著者はモーツァルトは天才ではあるが、同時に人間でもあるととく。この「天才性と人間性の絶妙なバランス」が生み出した作品が、いつも人の心を打つのは決して偶然ではないだろう。
何ごともバランスが大事なのだ。天才すぎると人がついてこないし、人間的すぎると凡庸すぎる。その絶妙な際に立ったのがモーツァルトだったのだ。